大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和62年(行ウ)64号 判決

① 事 件

原告

毛 塚 金 作

右訴訟代理人弁護士

大河内 躬 恒

被告

東京都港区建築主事

本 村 千代三

右指定代理人

山 口 憲 行

楠 田   晃

佐々木   剛

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

原告の建築確認申請について被告が昭和六一年九月一六日付けでした建築基準法六条四項の規定による適合しない旨の通知処分を取り消す。

第二事案の概要

一争いのない事実関係等

1  原告は、昭和六一年七月一七日、被告に対して、建築基準法(以下、「法」という。)六条一項の規定に基づく建築確認申請(以下「本件申請」という。)をした。本件申請に係る建築物の建築計画(以下「本件建築計画」という。)の概要は、次のとおりであり、本件申請の添付図面である配置図によれば、本件建築計画に係る計画敷地(以下「本件計画敷地」という。)は、その北西側に法四二条二項の道路(この道路を以下「本件道」という。)に接する旨記載されている。

建築主の住所 東京都港区赤坂八丁目一二番一四号

建築主 原告

敷地の地名・地番 東京都港区赤坂八丁目三九三番及び三九四番

主要用途 専用住宅

規模 敷地面積二五.0六平方メートル 建築面積一八.九0平方メートル(申請部分は三.七八平方メートル)延べ面積 三七.八0平方メートル(申請部分は七.五六平方メートル)

構造 木造

階数 地上二階建

2  被告は、昭和六一年九月一六日付けで、本件道が法四二条二項に規定する道路に該当しないため、本件建築計画は法四三条の規定に抵触するとして、原告に対し法六条四項の規定による適合しない旨の通知処分(以下「本件処分」という。)をした。

3  法四二条二項は、法第三章の規定が適用されるに至った際(昭和二五年一一月二三日。以下「基準時」という。)、現に建物が立ち並んでいる幅員が四メートル未満の道で特定行政庁の指定したものは、同条一項の規定にかかわらず同項の道路とみなす旨を定めている。

右規定を受けて、特定行政庁である東京都知事は、昭和二五年一一月二八日、東京都告示第九五七号をもって、法四二条二項の道路について一般的かつ包括的な指定をし、昭和三0年七月三日、同告示を東京都告示第六九九号をもって全部改正した。

法改正による右事務の移管に伴って特定行政庁となった東京都港区長は、東京都告示第六九九号と同一内容である東京都港区告示第二六号(施行日昭和五0年四月一日。以下「本件告示」という。)をもって、法四二条二項の道路を指定した。

二争点

被告は、本件道は本件告示の要件を満たさないと主張するのに対して、原告は、本件道は本件告示の二号又は三号に該当するから、本件処分は違法であると主張するので、本件の争点は、本件道が本件告示の二号又は三号に該当するかどうかという点である。

第三争点に対する判断

一本件道は本件告示の二号に該当するか。

1(一)  本件告示の二号は、「旧市街地建築物法(大正八年法律第三七号)の規定により、昭和五年一月一日以降指定された建築線(非常用建築線を除く。)間の道の幅員が四メートル未満一.八メートル以上のもの。」と規定している(以下、旧市街地建築物法を単に「物法」という。)。(乙三)

(二)  ところで、昭和七年に改正された物法令執行心得によれば、警察署は、別記第四号様式の甲号建築線台帳を備え置き、請求者であって支障なしと認める者にはこれを交付し又は閲覧させることとされ、右別記様式第四号の凡例によれば、指定申請建築線はと表示し、廃止申請建築線はと表示することとされている。(乙一六の1ないし3)

(三)  本件計画敷地は、昭和九年当時赤坂区新坂町七一番地の土地の一部であったところ、右土地の甲号建築線台帳においては、本件道は廃止申請建築線を示すで表示され、その横には大正一四年一0月一五日第一三七号指定と記載されている。また、変更指定を受ける建築線として、本件道の南西側で、本件道に丁字型に接する道(幅員三メートル、延長三三.六三六メートル)が記載されている。そして、警視総監は、昭和九年五月一0日、右道について申請どおり建築線を指定した。(甲八の1及び2、九、一0、乙一の1ないし3、二、被告)

2  右の事実によれば、本件道については、大正一四年一0月一五日に建築線が指定されたが、昭和九年五月一0日に本件道の南西側の道について新たに建築線を指定するに際してその建築線が廃止されたことは明らかである。

3  なお、本件道の建築線については廃止の告示はされていないことが認められる(甲三、四)が、建築線を変更する場合には、新たな建築線の指定についてのみ告示し、建築線の廃止についての告示はしない例であったことが認められる(甲二二の4、乙一七ないし一九の各1及び2)から、本件道の建築線について廃止の告示がないからといって、本件道の建築線が廃止されていないということはできない。

また、前記の赤坂区新坂町七一番地の土地についての甲号建築線台帳においては、本件道に「巾六尺通路ヲ保有ス別紙請書ノ通リ」と記載されていることが認められる(乙一の1ないし3)が、前記の指定申請建築線の表示であるの記載がないこと、昭和九年五月一0日現在の物法上道路の幅員は九尺以上とされていたこと、建築線の指定の告示はされていないと認められる(乙二)ことに照らすと、右認定の事実をもって巾六尺の建築線の指定があったということは到底

4  そして、他に本件道について昭和五年一月一日以降に建築線の指定が行われたことを窺うに足りる証拠が提出されていないことに照らすと、右の指定はなかったというべきであるから、本件道が本件告示の二号に該当しないことは明らかであるというべきである。

二本件道は本件告示の三号に該当するか。

1  本件告示の三号本文は、「基準時において、現に存在する幅員四メートル未満一.八メートル以上の道で、一般の交通に使用されており、その中心線が明確であり、基準時にその道のみに接する建築敷地があるもの。」と規定している。(乙三)

2  昭和九年五月一0日当時には本件道のみに接する竹内專之助の所有する建築敷地があり、そこには桑田重孝の所有する二棟の建物があったが、昭和二0年五月のいわゆる東京大空襲により、右建物は付近一帯の建物と同様に焼失した。終戦後、赤坂区新坂町七一番地の所有者である竹内は、新たに借地権の設定を行い、本件道の北側の区画については田中寅吉が、更にその北側の区画については尾城が、本件道の南側の区画については渡邊善吉及び毛塚金松(原告の先代)が借地権の設定を受けた。その後、竹内は、順次借地人にその借地を売り渡し、基準時当時の本件道の周辺の土地の利用状況は別紙図面のとおりとなった。(乙一の1ないし3、九、一0、二三ないし二五、二八、証人渡邊秋藏、原告、被告)

3  右認定の事実によれば、基準時において本件道に接する建築敷地としては、渡邊宅、田中宅及び毛塚宅の三つの敷地があったが、渡邊宅の敷地は昭和九年五月一0日に指定を受けた建築線に接しており、また、田中宅の敷地及び毛塚宅の敷地はいずれも公道に接しているということができるから、基準時に本件道のみに接する建築敷地はなかったというべきである。

4  したがって、本件道は本件告示の三号には該当しないものというべきである。

第四結論

よって、本件道は法四二条二項に規定する道路に該当しないため、本件建築計画は法四三条に抵触するとしてされた本件処分に違法な点はないから、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官北澤晶 裁判官小林昭)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例